ポーランド政治・社会情勢(6月15日〜21日)

 

1.クワシニェフスキ大統領、EU憲法条約批准の国民投票を断念。

6月21日、クワシニェフスキ大統領は、「EU憲法条約批准の国民投票を、10月9日の大統領選挙と同時に実施するのは非現実的」と発言し、事実上、断念したことを明らかにした。国民投票で敗北すれば、ポーランドはフランス、オランダに続く第三の「noの国」となり、ダメージが大きいと判断したためと見られる。更に同大統領は、「国民投票いずれ実施されるとしても、今は時期の特定は難しい。次期大統領の任期(12月23日〜)のことになる。」と述べた。これにより、ポーランドで年内に批准される可能性はほぼなくなり、またその後の批准自体も一段と厳しくなった。

国民投票を行うには、国会での実施決議の成立が必要。チモシェヴィチ下院議長は大統領の方針に賛成しつつ、下院の夏期休暇前に、決議だけは成立させたいとしている。

EU憲法条約の批准は、下院で3分の2以上の賛成を得るか、国民投票で投票率50%・過半数の賛成、のどちらかが必要。現在、ほぼ全野党が条約の廃案を主張している現状では、現・次期国会での批准は不可能であり、選挙後は、時期決定などに国会の過半数の賛成が必要な国民投票の実施自体も難しくなる。

 

2.野党、ベルカ首相に「偽証」で辞任要求。大統領、首相は拒否

6月21日、ギエルティフ家族同盟(LPR)党首、下院オルレン特委副委員長は、ベルカ首相が1984年の研究留学で米国に出国する際、帰国時の情報提供などを当時の公安に誓約する所謂「出国時指示書」(Leaving Instruction)」に署名した事実があるとして、同首相に「偽証」で辞任を要求した。同時に、オルレン特委は同首相を検事局に告訴した。ベルカ首相は、同委の証人喚問で「社会主義時代の旧公安に協力したことはない。旧公安との間で如何なる文書にも署名したことは無い。」と証言している。

他方、ベルカ首相はこの文書に署名したことは既に公に認めており、「これは(委員会で証言した)協力文書には該当しない。」と述べている。社会主義時代には、この文書に署名しないとパスポートが発給されないことなどから、事実上西側への長期滞在者はほとんど全員署名していたもの。公安の記録でも、ベルカ首相の協力事実は無いことが明らかになっており、帰国後も全く聴取に応じないベルカ・ウッジ大学教授(当時)について、公安は内務本省に対し「以後のパスポート発行不許可」を勧告している。当時公安の幹部(諜報担当)だったボサク元情報部大佐も、「『指示書』には何万人も署名した。これだけでは公安協力にならない」と述べている。

22日の関係文書公開後は、野党はベルカ首相の辞任を要求し、クワシニェフスキ大統領及び首相自身は、その必要は無いとしている。各紙には、「何であれ文書に署名したのは事実」と批判する論調と、「公安協力の事実がない以上嫌疑が晴れたとすべき」との両方の論調が出ている。

 

3.中国からの輸入、対中貿易赤字急増

6月20日、中央統計局は2005年第1四半期の貿易統計を発表した。それによると、中国からの輸入が対前年同期比△40%で、対中貿易赤字は年間ベースで約40億ドルに達し、ポーランドの貿易赤字全体の約50%を占める。原因として、中国製品の一定レベルの品質と低価格に加え、中国のWTO加盟によるEUの実質関税引下げ、中国企業のミッションや、ポーランドの輸入業者の動きの活発化などが挙げられている。

主要品目は次の通り。(カッコ内は対前年同期比の伸び率)

コンピューター(2.4%)、VTRカメラ(40.4)、工作機械部品(11.1)、電話機(236.6)、ランプ(電灯)(111.3)、VTR(93.2)、カバン(60.4)、玩具(27.2)、運動靴(21.7)、その他の靴(24.7)、など。

特にこれまでも影響の大きかった靴、イチゴ、衣料品などではリストラの遅れたポーランド業者の閉業も見られ、製靴ブランドのBut−S社は倒産した。

 

4.ポーランドのカトリック教会と、ウクライナの合同協会派が和解の式典

6月19日、ワルシャワの無名戦士の墓前の広場で、ポーランド・カトリック教会の代表と、ウクライナのギリシャ・カトリック(*)の代表が「和解の共同の祈祷式典」を行った。ロシア、ベラルーシ、カザフのカトリック教会の代表(全員ポーランド人)も参加した。

両教会は、この式典を、相互の不幸な歴史を乗り越えるためと位置付けた。各紙は、現代史に於ける不幸な歴史として、両大戦間期のポーランドによる東ガリツィアの「ポーランド化」、1943年、ドイツの西ウクライナ占領時の「ウクライナ蜂起軍」(UPA)による数万人のポーランド人殺害、戦後のポーランド当局によるウクライナ人、ウェメク人の強制移住(「ヴィスワ作戦」)、を挙げた。

 今回の「和解」はウクライナ・オレンジ革命以降の両国の関係改善と、リヴィウのオルロント墓地再公開問題などの懸案にメドがついたことも影響していると言われている。

 *ギリシャ・カトリック(Greek Catholic):西ウクライナで最も有力なキリスト教の一派。教義はカトリックでローマ教皇の権威を認め、典礼は正教会のものを採用するという独特の宗派で、数百年の伝統がある。教会内にはカトリックと正教会(斜め線が入る)の両方の十字架を掲げ、組織は独自のものを維持している。ソ連時代には宗教統合策で独自活動を認められず、1990年に公式に復活した。プシェムィシル等では、カトリックとの間で教会建物の帰属争いも起きた。ポーランドにも約8万人の信者がいる。

 

5.ワレサ大統領の「名の日」にクワシニェフスキ大統領らが出席

6月18日は「Lech」の日。この名を持つワレサ元大統領のパーティーには毎年多くの客が集う。特に今年は、ヨハネ・パウロ2世の葬儀の際に「歴史的和解」を果たしたクワシニェフスキ大統領夫妻も参加し、一段と大規模になった。(1995年の大統領候補同士のTV討論で、ワレサ候補はクワシニェフスキ候補との握手を拒否し、後で「(手ではなく)足なら出した」と言ったのは有名)。

数百人の客のケータリングをこなしたのは、グダィンスクで有名なレストラン、ケータリング業界の大物R.ココシャ氏。当日は、パストゥーシャク、チモシェヴィチの上下両院議長や、クシャクレフスキ元連帯委員長も参加した。かつて右腕だったカチンスキ兄弟は招待されず、たまたま誕生日だった同日を家族だけで過ごした。

 

6.戒厳令後の旧公安資料を国家機密から解除する法律が発効。

6月15日、社会主義時代の公安資料の内、1983年―89年のものは国家秘密から解除する法律が発効した。旧公安の人物調査や情報活動の文書は、一般に国家秘密とされ、その閲覧には国民記録機関(IPN)設置法などが定める特別の規則が必要となっている。しかし、1983年の戒厳令解除から1989年の社会主義政権崩壊までについては、公安の不法行為が頻発し、国家安全上も問題が少ないとの判断から、一般公開資料(ただし閲覧はジャーナリスト、歴史学者等に限定。報道は事実上自由)に指定されることとなった。資料には、当時の秘密公安要員の氏名一覧なども含まれている。なお、1990年以降については、現在の防諜、諜報活動に影響するため、国家機密のままとなっている。

閲覧は、6月22日10時から開始された。