ポーランド政治・社会情勢(1月19日〜25日)

 

1.ヤン・ノヴァク=イェジョラィンスキ氏、死去

1月21日、大戦中の国内軍(AK)連絡将校、自由ヨーロッパ放送ポーランド部長、元在米ポーランド人会議理事等を歴任したノヴァク=イェジョラィンスキ氏がワルシャワで死去した。92才だった。26日の葬儀ではクワシニェフスキ大統領始め政府要人、ワレサ元大統領等著名人が揃って参加した。父ブッシュ元大統領は、「讃えられるべきポーランド国民であり、米国民である」と談話を発表した。

同氏は、大戦中はロンドンの亡命政権で勤務し、「ワルシャワ蜂起」の直前にはその悲劇的結末と戦後のソ連によるポーランド支配を警告していたが、それでも自らワルシャワ入りして戦闘に加わった。蜂起の最中に、三回もブル・コモロフスキAK司令官の特使として奇跡的にロンドンに渡り、チャーチル英首相等に状況を報告した。戦後はミュンヘンの「自由ヨーロッパ放送」ポーランド部長としてポーランドの正確な情報の入手と分析を行い、当時の国内世論に大きな影響を与えた。1976年にワシントンに移住、以後ホワイトハウスのNSC(国家安全保障会議)の特別顧問として歴代大統領にポーランド情勢を解説するなど、米国政府、議会の対ポーランド政策形成に活躍。ポーランドの自由化後も、1999年のNATO加盟では、当時は根強い消極論があった米国上院の批准審議でロビー活動に尽力し、成功に導いた。全米ポーランド人協会でも理事を務めていたが、モスカル会長の反ユダヤ主義的発言が始まると同時に辞任した。

2001年からワルシャワに居住。最近のポーランドの政治状況を憂慮し、「ポーランドに最も危険な存在はポーランド人かも知れない。」と側近に述べていた。各紙は「終生を愛する祖国の自由と独立に捧げた。」とコメントし、「過去1年で我々はJ.クーロン、Cz.ミウォシュ、そしてノヴァク=イェジョラィンスキを失った。残された我々は彼らの事業をどう引き継ぐのか」、と問いかけている。

 

2.外相、「ポーランドの強制収容所」の表現に抗議発言。各紙も外国メディアに抗議。

 1月21日、ロットフェルド外相は下院で恒例の年頭所信表明演説を行い、欧米の外国メディアでは、アウシュヴィッツなど第二次世界大戦中のナチス・ドイツの強制収容所を、「ポーランドの強制収容所」としている例が増えていると指摘。こうした表現自体が受け入れられず、またポーランドが収容所を作ったという深刻な誤解を生んでいると発言した。同外相はまた、ポーランドのメディアに対し、「諸外国の同業者に対する警告」の協力を依頼した。

ジェチポスポリタなど、各紙はその要請に応えている。例えば、「現教皇はアウシュヴィッツを創設した国の出身である」(ベルギー”Le Soir Illustre”)、「「ピアニスト」はナチス・ポーランドを生きた音楽家の物語である」(The Australian)、「ユダヤ人はPolish gas chamber and incinerator に送られた」(”The Guardian”)、「シラク大統領は Polish concentration camps 解放式典に参加した」(AFP英語版)等に抗議し、その多くは謝罪、訂正を行ったとしている。

3.欧州議会で「アウシュヴィッツ」の表現について論争起きる。

欧州議会(PE)では、アウシュヴィッツ強制収容所解放60周年を記念した決議文が検討されていたが、収容所の名称を巡って論争が続いていた。当初は、PEリベラル派が「Auschwitz:Death camp in Poland」を提案し、これに強硬に反対したポーランド議員団が、「Auschwitz-Birkenau concentration camps established by Germany」を提案。これも反対を受け、妥協案として「Auschwitz-Birkenau death camps established by Nazis」でほぼ合意されるかと思われた。しかし、最後の段階でドイツの野党(「キリスト教民主―社会同盟)出身議員団が「Germany」の挿入に同意し、追い込まれた独社民党議員も反対を取り下げたため、最終的に「Auschwitz-Birkenau death camps established by German Nazis」となった。

一連の論争は、アウシュヴィッツの史的位置づけを巡る最近の論争を象徴するものと言われた。ガゼータ・ヴイボルチャ紙はこの結果を歓迎し、「今日、常識ある人ならば、一般のドイツの人々に対し、その前世代の罪を何度も想起させようとするのは避ける。しかし、当事者である民族の責任と記憶自体を削除するような馬鹿げた政治的修正には賛成できない。」と解説した。

 

4.スタラホヴィツェ事件、キエルツェ地裁で判決

1月22日、現職内務次官、下院議員等が地元のギャング組織に警察の捜査情報を洩らしたとされる「スタラホヴィツェ事件」で、キェルツェ地裁は判決を下した。ソボトカ内務行政次官は禁固3.5年、ドゥゴシュ下院議員(SLD)同2年、ヤギウェウォ下院議員(SLD)同1.5年(役職はいずれも事件当時)で、全て実刑だった。特にソボトカ元次官は検事の求刑2.5年を上回る例外。的に厳しい判決となった。被告は全員控訴するとしている。

 

5.Z.レリガ氏、農民党(PSL)、キリスト教国民同盟(ZChN)と選挙協定協約に署名

1月23日、大統領候補に関する世論調査で上位にランキングされているZ.レリガ上院議員(ミニ政党「Centrum」名誉議長)は、ヴォイチェホフスキPSL党首、クロピヴニツキZCN党首と選挙協約に署名し、選挙連合「Zgoda(合意)」を結成した。ただし、膝元の「Centrum」ではシュタインホフ議長(元経済相)が同党自体は加入しないと発表し、どれだけ効果を挙げるか疑問と言われている。記者会見で、レリガ議員は大統領選挙の立候補に意欲を示した。

 

6.下院PZU問題調査委員会、発足。議長選でSLD・社民党の対立。

保険会社PZUの民営化、外資への株式売却を巡る疑惑調査のため、下院にPZU問題特委が発足した。委員は当初11名の予定だったが、自衛(割り当て1人)がレッペル党首を候補とし、下院幹部会が名誉毀損等で有罪確定判決を受けている同党首の任命を拒否したため、10名となった

委員長には家族同盟(LPR)のドブロシュ委員が選出されたが、賛成4名、棄権3名での当選だった。立候補していた社民党のレヴァンドフスキ委員は、SLD委員の棄権が当選の原因だとして同党に不信感を示し、改めて両党の選挙共闘の難しさを示した。

 

7.欧州委、ポーランドのワイン生産容認

1月20日、欧州委員会は、ポーランドのワイン生産を認めると発表した。EUでは、過剰生産気味のワイン生産割当に厳しい制限がある。今回、ポーランドは2010年までに300万本の生産、販売が認められたが、最初は所謂テーブル・ワイン(混合ワイン)だけで、2010年から銘柄ワインも発売出来る。生産地として名乗りを上げているのは主にヴロツワフ、ジェローナ・グーラ、ルブリンの業者で、秋には数十万本の「ポーランド産ワイン」が登場すると言われている。