1.オルレン事件:クルチク氏、露の(元)大物スパイ、W.アフガノフ氏と共謀?
(1)11日、バルチコフスキ国内保安庁(ABW)長官はラジオ番組で、ポーランド最大の政商とされるクルチク・ホールディングのJ.クルチク代表が、2003年7月にロシアの元情報機関員W.アフガノフ氏とウィーンで会談し、帰国後、その模様をシェミョントコフスキ諜報庁(AW)長官(当時)に話したメモの存在を認めた。同メモは下院オルレン調査委員会に提出される予定。
(2)メモの内容は、(a)クルチク氏は、電力貿易取引相手であるロシアのRAO JES社のチュバイス社長(元露副首相)の要求で、同社の経営理事であるアフガノフ氏と会談、(b)アフガノフ氏は、カチマレク元国財相とオルレンのギエレイ経営理事会議長(当時)が、グダィンスク精油所の民営化でユーコス社が落札出来るように計らうため、合計500万ドルの賄賂を受け取ったが、結局便宜は図られずに、ユーコス側は不満を持っている、というもの。
(3)このため、保安庁は1年にわたりカチマレク、ギエレイ氏の身辺を調査していたが、資産状況などから、500万ドル受領の形跡は一切無かったことが判明した。
カチマレク氏は「この中傷については何度も反論してきた。中傷の出所が明らかになったことを喜んでいる。」と述べた。クルチク氏は4月に新聞のインタビューで「アフガノフ氏とは面会したことが無い」と発言していた。今回は報道陣への回答を拒否している。
このメモは、当時大統領、首相にも提出されており、クファシニェフスキ大統領は、カチマレク、ギエレイ両氏には全く疑うべき点は無くなっている、と述べた。クルチク氏は、オルレンやグダィンスク精油所(現LOTOSグループ)民営化でカチマレク、ギエレイ両氏と対立してきており、各紙は昨年の同氏のこの行動に疑惑を向けている。
【参考】
1.ウラジーミル・アフガノフ氏
元KGB将校。KGB改革後も情報機関に在籍し、90年代にポーランドに在勤。95年のオレクスィ首相(当時)が辞任を余儀なくされた対露スパイ疑惑で主要な役割を果たし、ポーランドではその名はよく知られている。現在はエネルギー関係コンサルタントとして、ロシアのメディアにも各種情報を発表している。各紙ではプーチン大統領に近いとしている。
2.グダィンスク精油所の民営化
グダィンスク精油所(当時)はオルレンに次ぐポーランド第二の石油会社。2001年の民営化入札では、ハンガリーのMOL社とイギリス系のRotch Energyコンソーシアムが争い、ソヴィンスカ国財相は後者を指名したが、同社は資金不足が判明。その協力者として露のユーコス社が名乗りを上げたがポーランドでは反対が相次いだ。
Rotchは次にオルレンをスポンサーとしたが、これもうまくいかず、最終的には2003年に株式市場での一般公開・上場で民営化し、Lotos社となった。
2.各地の病院で診療受付停止や、治療待ちの長期化相次ぐ
12日付ジェチポスポリタ紙は、各地の病院で、健康保険基金(NFZ)の財政難により、病院に対する支給金が大幅に不足、年内は診療の受付不可の病院などが増えていると報道した。現行制度では、病院は、NFZから一定の予算を年度単位で受け取り、その範囲内でしか診療できない。それを越える場合は、病院自体が自治体や銀行などから借金をして医師の給与や薬品を手当する以外にない。また、外国人を除けば、国公立病院が勝手に患者負担を導入するのは禁じられている。
10月の時点で、多くの病院では既に年内予算を全て消化してしまったため、生命に危険のない患者は来年回しになっているところが出ている。トルンの小児病院では、NFZ予算の枠内に患者数を限定すれば、現在の50%に押さえざるを得ないとしている。シロンスク県立病院では、複雑な心臓、整形等の手術で、緊急性がないもの患者は3年後と通告されるケースも出ている。
3.社民党第一回全国大会開催
10日、社民党の第一回大会が開催された。席上、ボロフスキ代表はベルカ内閣の支持を打ち出し、現在の社民党は、政治上の敵を急進的な右派だとして、名指しはしなかったがポーランド家族同盟(LPR)等を批判した。民主左翼連合(SLD)との共闘については、統一選挙候補者名簿の作成と、大統領選挙の統一候補擁立を否定した。また、SLDでは、未だに支持を失った理由の分析が無く、国家の私物化と行政の政党化の試みが再度行われていると批判した。また、イラクでは、1月に選挙が実施されなければポーランド駐留軍は直ちに撤兵すべしと主張した。
4.ポピェウシュコ神父殺害事件の黒幕にミレフスキ治安担当書記
5日、ジェチポスポリタ紙は、1984年10月に起きたポピェウシュコ神父殺害事件で、当時のヤルゼルスキ首相・党第一書記がミレフスキ治安担当党書記の関与を指摘する側近との協議メモを発表した。ヤルゼルスキ元大統領はこれを批判しておらず、当時の政権が事件発生後直ちに政治的背景を認識していたことを示し、これまで不明とされてきたミレフスキの関与の疑いが一段と濃くなった。
ミレフスキ元書記は76歳で存命している。同人は、現役時代はソ連のKGBと密接な関係があり、1980年の「連帯」運動期には、「逮捕されるべき人間」のリストをモスクワのアンドロポフKGB議長に、党中央委の承認無しに持参したことで知られる。1973年には、反体制派取締を担当した悪名高い内務省第4部内に、「D班」(dezintegracja=破壊)を設置した。
【ポピェウシュコ神父殺害事件】
1981年〜83年の戒厳令後、ワルシャワ北部の教会司祭だったポピェウシュコ神父は、明晰かつ率直な説教で多くの人々の信頼を集めていた。当局が同神父をマークし、1984年に現役の内務省将校であるG.ピョトロフスキ大尉(服役中)が仲間と神父を誘拐し、殴打殺害した事件。同胞が仕事で、同胞を残虐に殺害した事件としてポーランド市民に深刻なショックを与えた。裁判では、内務省幹部は証拠不十分となり実行犯のみが有罪となった。当時から党上層部、特にヤルゼルスキら軍出身者と対立するミレフスキの関与が疑われていた。